すず塩田村から、海岸沿いの道を少し戻り、途中から左に折れて「時国家」に向かいました。
最初に着いた「下時国家」は見学することが出来なくなっていました。この先の道沿いにある「上時国家」は見学が出来るということを聞いて、行ってみました。
時国家は源平合戦後、能登に配流された平時忠(たいらときただ)を祖とする能登随一の名家ということを初めて知りました。平時忠は、平清盛の義弟で、平家が滅亡した際に、神器の帰座の功により特別の計らいで能登に配流となったそうです。
時忠の子、時国は近隣の村々300石を統治し、それから第21代当主が、この屋敷を築いて、第25代当主が現在もこの屋敷と伝統を守っています。
少し坂道になっている先に門が見え、その向こうに重厚な屋根が見えました。入母屋茅葺きの大屋根で、高さは18mもあるそうです。美しく見事な屋根です。
室内も見ることが出来ました。室内のふすまは金箔が使われ、円形の縁取りの中にあげは蝶が描かれていました。この時代にこういうデザインが考えられていたことにとても驚きました。
土間のある部屋の天井には立派な籠が吊り下げられていました。かつて、どんな人がこの籠に乗り、どこまで出かけていったのか・・・想像がふくらみます。
籠を吊すためにこの部分の梁には、松の芯材がだけが使われているそうです。
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